ヨギックアルケミー 3ヶ月コース終了者の声

3ヶ月間、毎日アサナとプラナヤマの時間と向き合い、ヨガ哲学をじっくり学び

実践して行くことをテーマとしたヨガ的暮らし始めるコース。

教える資格を取ったり、教え方を学ぶコースはあるけれど、

ヨガを教えるためではなく、

ヨガを生き方にしたい人のための本格的な本質的なコースってないなぁ

というところから始めたコースでした。


ヨガのインストラクターさんやヨガの資格コース終了者の参加者も多くあり、

「ヨガのこと、全然わかっていなかったんだと気がついた」

「資格コースで習ったことはこういうことだったんだ!」

本当に「ヨガ」という生き方とコミットする大切な機会となったようでした。



とにかく「暮らしの中で実践すること」と「向き合うこと」

それはまさに私の師、ヨギであり、芸術家であるスワミ・モハメット・マハリタが私に伝えてくれたことでした。

本当に大切なことが宇宙から私に渡され、私というパイプを通して

必要な人々に伝わっていった。


そして学んだ人たちは変容とは何かを経験し、

一生をかけてこの道を歩いて行く準備ができた。

魔法のように一次的な体感を「変容」と捉えるのではなく、

その「体感」「体験」を元に、自分を過大評価することも過小評価することもなく

ただ信頼して、地に足つけて、コツコツと毎日を重ねて行くこと。

それこそが大いなる「変容」の道であるということ。


そんな風に長く続く変容のスタートを切れたのでではないかなと思っています。

どうか、皆さんが人生の様々なフェイズに合わせて

緩めたり、閉めたり、塩梅を見て調整しながら

自分らしくその道を歩み続けることができますように。

(ずっと張り詰めないでね!切れちゃうから!)


コース終了後、アンケートを取らせていただきました。

その中でいただいたお声をちょっとずつ公開していこうと思います。

コース参加された方も他の方がどんな風に参加されていたのかがわかって興味深いのではないかなと思います。一つの質問ごとにご紹介。

今日はこの質問について。


「コースの中で一番向き合わされた自分自身の性質や思考パターンはなんでしたか?どんなものでしたか??」


お一人ずつの答えを箇条書きで載せていきます。


・行動力、人と比較すること、概念の捉え方


・「自分は愛されない」「自分は幸せになってはいけない」「今に居ない」


・惰性、諦め、妥協


・あと少しの所で妥協?留まってしまう。


・ネガティヴな思考。とても被害者妄想的なもの。コースの後半(9月はじめ)に、病的と思われる被害者妄想の激しい人が現れました。私は相手の思い込みの中では加害者?でした。妄想に近いものだったので、私は周囲から守ってもらえ、ショックな出来事でしたが意外にダメージも少なかったです。コースを受けていなければもっと落ち込んでいたと思います。今思えばそういう要素が自分の中にもあったような気がして、相手がそれがどんなものか誇張して見せてくれたように思います。一つの出来事も、本当に捉え方次第であるし、ヨガやヨガ哲学を学んで、その捉え方を自分で選択できるということを知れたことが、自分にとって成長というか自分がすこし拡大した気がしています。


・こうあるべき、こうするべきという思考(女性として、母として、ヨガを教えている人として、愛されるためには…)・周囲の目を気にした言動をしていたこと ・恐怖(身体を普段動かしている範囲以上に動かすこと、何か悪いことが起こるのでは?嫌われるのでは?…) ・自分にないもの、出来ていないことにフォーカスしてジャッジする内側の声


・勝手に諦めること。出来ないことは悪いことという考え方。どうせ無理とか、勝手に決めつけること。そんな考えは、ただの癖だという事がわかりました。時間軸や、行動のペースを自分に合わせていく事にためらいがなくなってきました。アストラルボディは繋がっているという理解が、パートナーや家族との関係性を深めたと思います。相手を理解して、思いやり、歩み寄る気持ちが、少し生まれた気がします。



・「気持ちが入れている時」と「とりあえずアサナをやってるけど毎日に必死でアウェアネスを持たずに過ごしてる時期」とがありました。最初の壁は食べ物に対してで、普段が「とりあえず食べれたらいい」と生活してたので、でも一番「変わったら嬉しいな」と人ごとの様に思ってた部分でもあり、今回でどんな風に変えていきたいのかが見えて、ちょっとずつですけど、食生活も変わりつつあります。あと「思考の癖」についても考えるようになり、色々な事に不満が出て何度も考えてるうちに、これは「想念」かと気づくようになりました。後、集中力が散漫な部分がある為、凄く集中してアサナやってるいる時と、意識が違うところに行って他の事考えながらやってるな〜という時がありました。特にグルジ瞑想の時にその事に気づき、瞑想にも座るという体力がいり、今この自分の中に通ってるエネルギーに意識を向けるという力が必要なんだ。と意識できるようになってきました。



・コースはただ楽しく興味深く受けてたので、自分の力を呼び覚ますとかも気付いていないのかまだまだそこまで到達してないのか。。修練はまだまだ続ける必要があると実感しています。今までやって来なかったのが勿体ない!と思ってます



・自分の思い通りに行かないと、イライラして感情を出してしまうこと。その想念は何か、見つめていくと、時間というキーワードが出てきました。時間に追われ、支配されている。それを手放したいと実践中です。やらなくても良いことはやらない。休憩する時間を持つなど実践中。


ちなみに私が向き合っていたについても正直に記します。皆さんも正直に書いてくださったから。

私はコース前まで「人からの嫉妬」「嫉妬からの虚偽的な無反応」「憧れからの模倣」「無反応を装いながらの模倣」に対していちいち反応してしまう自分と常に向き合っていました。なぜ、それに対してフラストレーションを感じるのか。なんでそれを喜べないのか。真似をしてくる人をなぜ応援できないのか。

それに対して、私が外側からの評価、外側への評価を気にするレイヤー(=嫉妬と同じレイヤー)から物事を見ているからその刺激に対して反応してしまっていることに気がつきました。

コース期間中、参加者の方に目を配り、エネルギーをシェアしているうちに、自分の中が愛であふれている状態が普通になりました。自分を含む空間が、皆(私も含む)を育む愛で溢れている状態が当たり前の状態となり、自然と嫉妬と同じレイヤーにいることができなくなりました。参加者さんからの愛を感じられたということも大きいと思います。

その中で、自分に向けられるすべての嫉妬を含むエネルギーに対しても自然と愛を向けられるようになりました。

実はコース終了後、また元の感覚が戻ってきて、「なんでこんな風にするんだろう?」と外側に反応する癖が動き始めていますが、以前よりもだいぶマシになっています。

コース期間中はそれだけ「愛」の状態にいたのだなーと改めて感じています。本当に一人一人のお母さんだと思って、一人一人の幸せを心から願って、私自身の暮らしはみんなのためにありました。それが幸せだった。


教えさせていただく立場だけれど、私だって完璧ではなく、ただの普通の人間です。

ただその道をちょっと早めに歩み始めたから、そこにどんなトラップや難しさがあるかわかっているというだけ。

私が陥った、必要のない大変さを無しに、皆さんがクンダリーニ(自己実現のひとつの完成)と出会えるようにサポートしたいというのが私の想いです。


このシステムの調和を図るということが心地いいのです。

それは私にとっては舞台を作ることとおんなじ感覚。

この舞台は通常の舞台より長期間に渡るもの。


焦らず、ゆっくりと。

その過程こそを楽しんで進んでもらいたいな。


Yogic Alchemy.com

ヨギックアルケミーはラージャヨガの科学的アプローチと、 タントラの瞑想的に生きる知恵を併せた、現代に最適なヨガの道です。 2020年にLataに降りてきた知恵をもとに現在進行形で紡がれています。 どこまでも実践的にプラクティスを重ねていくことで、 エネルギーの変容と拡大を起こしていく 新しい時代のヨギたちに向けた道です。

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